ありのままの自分を肯定したっていい 何がしたいかわからない人へ 

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何がしたいかわからないがありのままでいいと思い始めた男性 やりたいこと・天職

「やりたいことをみつけたいけど、これといって浮かばない。」
「目標を持たなきゃダメなの?」
「ありのままの自分という言葉に惹かれる。」

この記事はそんな、ありのままの自分でいたいけれども、それではいけないと危機感を抱いている人に向けて書いています。

そういう私も、
「自分にも強い願望ややりたいことがあるはずだ。」
とやりたいことを探しましたが、結局、「キタこれ!」っていう人生の目的ってやつは特に持たずに現在に至っています。

この記事ではありのままの自分でいることについて書いていきます。

ありのままの自分ではだめだと思う理由

ありのままの自分でいることに憧れながら、それではいけないと思うのは世の風潮ですよね。
ネットやテレビでは、成功者の努力することの情報が毎日のように流れていますしね。

「日々成長しなければいけない。」、
だとか

「目標に向かって努力する。」

だとか
「5年後のなりたい自分になるために逆算して考える。」

だとか

だとか、
「目標を達成するために一切の余計なものを排除し、リソース(時間)を集中させる。」

とか

しまいには
「自分の葬式で参列者になんて言われたいか考えてそれに向かって生きる。」

なんていうのもありますよね。

確かに立派な考え方ですよね。

こういう考えが、世の中の9割くらいを占めているのですね。

確かに大事です、自分の人生のことを考えるのは。

子供は大人になったら何になりたいのか聞かれ
中学高校でも将来どうしたいか進路を聞かれ
大学生になったら何の仕事をしたいか聞かれます。

社会人になったら、会社の飲み会やら査定の時に今後の目標を聞かれます。
紙で提出させられたりします。

そして、やっぱ怖いんですよね、
「目標?特にないんです。」

「考えてないな―そんなこと。」

って答えるのが。

どうしてもなんか、ひねり出してしまいますよね。

しょうがないですよ、なんかひねり出さなきゃいけないんですから。

信じる主義を変えたっていい

目標は何か持っていなきゃいけない、そしてそのために日々努力することが素晴らしい。

これを否定する人ってなかなかいないですよね。

だってそう思ってるんですもの。
自分たちはこの価値観を生まれた直後から無意識のうちに刷り込まれています。
ウサギとカメやアリとキリギリス、3匹の子ブタなどの絵本を読み、
正しいのはカメでありアリであり、3匹目の子ブタですと教わるのです。

ありのままでいるということは、一見、努力の放棄です。

努力を放棄したらいかんだろって思うからありのままに憧れながらも取りあえず努力すればなんだっていいと思ってしまう。

しかし誰にもあてはまる正しい価値観っていうのは無いんです。

時代とともに価値観は変わり、その時代の中でもいろんな価値観があります。
みんな自分の価値観を正しいと思って大部分の時間を過ごしているわけです。

だからいままで信じてきた
「目標に向かって努力するという価値観」
「今日は未来のために捧げる。」
「満足したら最後」
みたいな価値観と別の価値観を信じることにしたっていいわけです。

ありのままでいることだって結構きつい

ありのままでいるってことは楽で怠惰なことだっていうイメージがありますよね。

でもそれはあくまでイメージです。

いざ実践しようとすると大変です。
世の中目標と努力、成長し有名になり大きな報酬を手に入れろという価値観です。
ありのままとは逆の価値観で満ちています。

会社の飲み会が急遽開かれることになった。
~~さんも参加よろしくと言って幹事さんが去って行きそうです。
普段は嫌々ですが飲み会は基本参加のあなたが、

「今日は欠席します。」
というのはすこぶる勇気のいることです。

重要なプロジェクトで皆が毎日終電まで頑張っているときに、
疲れたから帰ります。といって帰るのは至難の業ですよね。

逆に、なんとしても成功させたい重要なプロジェクト、自分にとっては寝ている場合ではないと思っているときに、終電で帰ろうとする同僚を見て、
「なんで終電になったら帰るんですか?」
と引き留めるのもひとつの「ありのまま」です。

日常の中で「ありのまま」をするのは大変なのです。
休日に部屋にこもって一人ありのままに過ごすこととはわけが違うのです。

ありのままでいろっていう人だっている

世の中の自己啓発書は今の自分に満足せず高みを目指し成功する、いろいろなものを獲得し集めていくことが目指すべき事と書いていますが、ありのままでいろっていう人だっています。

お釈迦様の教えや本音の思想と言われる中国の老子・荘子、あるいは禅といった東洋哲学は、獲得することではなく、ありのままであることを目指しました。
欧米の

偉人と呼ばれる人たちも結局ありのままだったんじゃないでしょうか?
発明王のエジソンは1万回くらい失敗したそうです。

エジソンは実験の回数を数えていたのかどうか知りませんが5000回失敗したときに思ったはずです。

おれ5000回実験したんだけどまだうまくいってないと。

そこで、「目標達成のために頑張るんだ!!。」と自分を鼓舞したのでしょうか?
周りの人は言ったはずです。
「そろそろどうすか?(やめませんか?)」的なことを

しかしエジソンが実験を続けたのは目標達成というニンジンがあったからではなく純粋な探求心だったのではないでしょうか?
「オラもうちょっとやってみる、まだ試したいのがあるんだ。」

それは自分の成長がとかどうでもよくて素直な心、あるがままの自分の気持ちに従ったからだと思います。
誰かの価値観でNEVER GIVE UP だから続けるではなかったと思います。
人から押し付けられた価値観ではなくありのままの自分に従ったからそうなったのです。

最後に

目標ややりたいことに向かって日々成長するべき、と今の自分と違う自分にならなければいけない。

それに違和感を感じる時、ありのままではダメなの?と思うのは自然なことです。

ありのままに生きることは決して簡単なことではありません。

これはこれで周りの人との摩擦の中で生きることです。

ありのままで生きようとしたことが無いのであれば一つの立派な挑戦だと思います。
ありのままで生きるということは自分らしく生きるということ。

自分を強く意識する自我の表れなのです。

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