「やりたいことを見つけて、仕事にしたいけど、本当にやりたいことなのかいまいちピンとこない。」
「仕事にしたいほど好きなことなんて浮かばない。」
「朝から晩までどっぷりハマれる天職に就きたい。」
この記事はそんな、胸を張って言える、人生の目的とでもいうようなやりたいことが無くて苦しんでいる人のために書きました。
そういう私も、40歳を過ぎてから自分のやりたいことが気になりだした40代です。
以前はやりたいことというか好きなことを探すのに必死でしたが、最近はそんなに強く思う程のものは無いとのんびり構えています。
仕事にしたいほど好きなことなんてないよ、という感覚をお持ちの方は正しいです。
おそらく仕事にするときに生じる様々なことを見通しているからです。
この記事ではなぜその感覚が正しいのか紐解いていきます。
好きなことを仕事にするとは
好きなことを仕事にするとはどういうことでしょうか?
ここでは、「おいしいものを食べるのが大好き。」でそれを仕事にする場合を考えてみます。
この好きなことを分解すると
美味しいもの:対象物
食べること:主活動
この二つの要素でできています。
この二つの要素のどちらか一つでも欠けると好きなことになりません。
好きなことであるためには対象物も主活動も好きでなくてはいけないのです。
そして、これを仕事にするわけですから自分が好きなこと「おいしいものを食べること。」に価値を見出してもらいお金を払ってもらう必要がありますよね。
そのために、おいしいものを食べる活動に加え「付随する活動」が必要になります。
仕事の多くを占める付随する活動
仕事の多くはこの「付随する活動」が占めています。
この場合はテレビのグルメレポーターを仮定します。
「美味しいものを食べること」からお金をもらうためにやる「付随する活動」は非常に多いです。
- 味を表現すること
- カメラワークや説明方法のスタッフとの合意
- レストランまでの移動、
- 美味しいと思わないものでも美味しさを伝えること
- 満腹でも食べること
- 笑いのセンス
などなど数え上げればきりがありません。
美味しいものを食べる時間は労働時間のうちわずか5%くらいかもしれません。
たとえ美味しいものを食べられてもこれらの付随する仕事も含めると、「全部好き!」と言えなくなるのも納得できますよね。
全てのプロセスを全部好きな仕事なんてありえないですよね。
そこそこ好きであれば十分好きなこと
ここで悲観する必要はありません。
逆に考えればわずか5%でも好きの部分が十分好きな仕事と言ってもいいのです。
別に、好き=死ぬほど好きである必要はありません。
例えば、ゲームが大好きだとしますよね。
平日はちょっとしかゲームをできません。
仕事中もゲームのことばかり考えている人が、いざ休みの日、寝る間も惜しんでひたすらゲームできるかというとそんなことないですよね。
ゲームを始めたもののどこかぼんやりとしていたり、平日は絶対にやらない、非効率なことをゲームでやったり。
途中でテレビ見て休憩したり。
何事もほどほどがちょうどいいのです。どっぷりゲームに浸るのは実は過剰な状態なのです。
だからどっぷりハマれないから俺は好きじゃないんだなんて悲観することはないのです。
そこそこ好きならそれで十分、好きなのです。
付随する活動の中のすきを見逃さない
それでも対象物にも主活動にも「仕事にするならこれだ!」と思える好きなことが無い場合だってありますよね。
もしそこそこ満足して働いている時は「付随する活動」の中に実は好きなことが隠されている可能性があります。
それは人に説明して誇れる華々しいことではないかもしれません。
しかし、自分の好きなことなのです。
それはもしかしたら、例えば変化の少ない安定した平和な環境かもしれません。
一般的には平和な仕事をするよりも世界中を飛び回り、激変する環境の中、果敢にチャレンジするためになんかミーティングしている人の方が格好良く見えます。
そして給料もおそらく高いでしょう。
しかし、格好いいも、給料いいも、人からの評価です。
自分が安定して平和な環境が好きでそれが仕事の中にあるのであれば、その比率が多くなくても十分好きなことが仕事にしているのです。
まとめ – 大好きが仕事でなくたっていい
仕事の時間が大好きなことで満ち満ちてなくたっていいのです。
好きなことがほんのちょっぴりでも入っていてそれを実感できていれば、十分好きなことを仕事にできています。
もし自分の置かれた状況と全く別なものを求める前に今の仕事の中で実は自分が好きなことをしっかりと感じ取ってください。
コメント